「春のお彼岸」
2024.03.20
今日は春のお彼岸の中日。まだまだ寒い日もありますが、徐々に季節は冬から春へと変わろうとしています。春の到来を知らせる白木蓮の花もあちらこちらで咲き始めていますね。★ご先祖を敬い感謝する習慣は私たちの普段の生活の中に浸透していますが、特にお彼岸はご先祖を身近に感じる時期となります。仏教ではお彼岸の中日は太陽が真東から昇り、真西に沈むことからこの世(此岸/しがん)とあの世(彼岸/ひがん)がもっとも通じやすい時と考えられ、ご先祖や亡き人を偲ぶ日、あるいは来世を想う日として捉えられてきました。★そもそも「お彼岸」の習慣はいつ頃からあったのでしょうか?お盆は大陸から伝わった「盂蘭盆(うらぼん)」が祖先祭として定着したものと考えられていますが、春と秋の「お彼岸」の風習は中国などの仏教には見られない日本固有の文化となっているようです。西の方角に沈む夕日を見て西方浄土を観想する「日想観」に基づいているとも言われますがその根拠は明らかではないようです。日本に伝わった浄土信仰が日本古来の神々や風習、あるいは農耕文化や季節感などと融合して日本独自の文化として発展したのかもしれませんね。古い書物によればお彼岸の始まりは平安時代にまでさかのぼり、ご先祖を供養するなどの仏教行事として広まったのは室町時代とされています。(画像は京都銀閣寺の高台から西方を撮影したものです)★慌ただしく時間に追われる毎日ですが、お彼岸にはご先祖や大切だった方を偲び心静かに過ごしたいものですね。
「お線香やローソクによる火災の原因」
2024.03.10
早朝には小雪や小雨が降ったりしても、日中には時々晴れ間が見えるという天候が続いています。春はもうすぐそこまで来ていますね。★少し前のことになりますが、故田中角栄元首相の旧邸宅で「お線香による火災発生」という報道がありました。記事だけでは出火の詳しい原因は分かりませんが、このような火災のニュースを時々目にします。お線香が原因となる場合は、火の付いたお線香が倒れて先端の燃焼部分が座布団や燃えやすい布などに延焼することが考えられます。大勢の来客の方々が集中してお線香を立てると、灰の中に残っている燃焼中のお線香が火種となり、後から立てたお線香の根元の部分に延焼して倒れることなどが理由のひとつとして考えられています。★ローソクが原因となる場合は燃えやすいカーテンなどに燃え移るなどのほか、非常に稀ですがローソクを立てる「ローソク立て」の受皿に水分が付着していると燃え尽きる瞬間に炎が水と反応して「パチッ」という音とともに炎の付いた芯が飛ぶという報告もありました。枚方寝屋川消防組合では実際に起きたローソクの火による火災の後、受皿に水分の残ったローソクを燃焼させるという現況再現実験で609本中20本の確率(約3%)で火が付いたままの芯が落下、もしくは飛び上がるという結果(平成25年7月現在)が報告されています。★あと10日ほどで春のお彼岸を迎えることになりご仏前で火を使う機会も多くなります。その場を離れないよう心掛けるなど、安全に留意したいものですね。
「卒業式」
2024.03.01
松江では雲の多い朝を迎えています。日中の気温もそれほど上がらない予報になっていますね。★2月の下旬は冬の寒さも一息ついて穏やかな天候が続きました。一昨日の椿谷では梅の花もほころんで五分咲きほどになっており、梅の甘い香りに誘われたのか小さな野鳥の姿も見られました。3月の中旬までは見頃が続きそうですね。週が明けるといよいよ「啓蟄」。大自然の営みも本格的な春の訪れを前に少しずつ動き始める季節となりました。★今日は島根県内の公立高校で卒業式が行われます。担任の先生や部活の顧問の先生をはじめ沢山の方々にお世話になり、我が家の男子も無事に卒業することになりました。ついこの前まで小さなサッカー少年だと思っていましたが早いものです。小学校3年生の頃から同じチームで一緒に活動した同級生も幼かった頃の面影はなく、皆たくましい青年になり一緒に卒業してそれぞれの道を歩み始めることになります。子供の頃から仲良くしてもらった友人達の顔を見ると何故か切なくなりますね。大学進学、専門学校進学、就職など進路はそれぞれ違いますが、皆に輝く未来が訪れることを願うばかりです。★週末も雲の多い天気になりそうです。油断せず体調管理に留意して元気に春を迎えたいものですね。
「歎異抄」
2024.02.20
暦の上では「雨水」を迎えました。昨日は松江の気温も20度近くまで上昇していたようです。★「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」 阿弥陀如来像を修理すると、時々「歎異抄(たんにしょう)」の中にあるこの一文を思い浮かべます。歎異抄は親鸞聖人の弟子である唯円(ゆいえん)が書き記したとされる文章で、親鸞聖人の教えを人々が誤って受け取ってしまっていることを嘆き、自分が聞いた親鸞聖人の言葉をありのままに遺したと伝えられています。冒頭の一節は広く知られている言葉で、本願他力の本質を表現していると言われています。★私も若い頃に仏像修理の師匠に薦められて歎異抄を読みましたが、「善人」も「悪人」も捉え方次第で意味が違ってくるので戸惑いました。親鸞聖人は「阿弥陀仏が五劫もの間 思いをめぐらしてたてられた本願をよくよく考えてみると、それはただ、この親鸞一人をお救いくださるためであった。思えばこのわたしはそれほど重い罪を背負う身であったのに、救おうと思い立ってくださった阿弥陀仏の本願の、何ともったいないことであろうか。」と仰っていたとあります。これは現代語訳で書かれたものですが、自らを迷いの中にある煩悩に満ちた凡夫と言って憚らない親鸞聖人の言葉に強い衝撃を受けたのを覚えています。★今日は雲の多い天気になりそうですね。週末にかけては気温も下がる予報になりました。