「松江祭鼕行列」
2024.10.22

今日の松江は朝から小雨が降り続く天気となりました。風は冷たく、日中の最高気温もそれほど上がらない予報になっていますね。★10月20日(日)には心配されていた雨もあがり、無事に「松江祭鼕行列」が開催されました。松江城大手前に集合した鼕宮は16台。それだけでも見応えがありますが、町内ごとに受け継がれる鼕の響き、笛の音、それにチャンガラと子供達の掛け声が加わり、その光景は華やかで集まった観衆を惹き付けます。当日は、やや風も強く肌寒く感じる気温でしたが、松江城大手前から橋北の街を通り、松江大橋を渡って白潟天満宮までを練り歩く華やかな姿に沿道の人々は惜しみない拍手を送っていました。★鼕行列の歴史は古く京都で行われていた「左義長(さぎちょう)」という正月行事に由来するそうです。江戸時代には小正月の「とんど」行事で歳徳神の宮を担ぎ、太鼓を叩いて笛やチャンガラで囃し、五穀豊穣を願い町中を練り歩いていたようです。現在のような形態の「鼕の行列」は大正四年(1915年)大正天皇の即位の御大典の折に各町が「大鼕」を載せた宮台に車輪を付けて数十町内が練り歩いたのが始まりと伝えられています。★歴史のある祭りとはいえ、時代を超えて後世に伝えてゆくことは簡単なことではないと感じます。しかし、今年もやはり素晴らしい鼕行列でした。この祭りを守り受け継ぐ人々の熱意には驚くばかりですね。
「南天竺」
2024.10.20

国民の90%が仏教徒といわれるカンボジアでは旧暦の10月にお盆を迎えます。同じ仏教国でもお盆の時期が異なるのは不思議ですね。★京都市の「乗顔寺」には熊本藩主・加藤清正に仕えた武将、森本義太夫の位牌が残されています。その次男は「森本右近太夫一房」。右近太夫一房は江戸時代の鎖国令が出される前の1632年(寛永9年)、遙か遠い日本から海を渡りカンボジアのアンコールワットを訪れ、父母の幸福を願い四体の仏像をここに奉納したとされています。★しかし、当時の日本人はカンボジアのアンコールワットを仏教の聖地である「祇園精舎」と間違えて解釈していたようです。「祇園精舎」とは中インドのコーサラ国の首都シュラーヴァスティーにあった寺院のことで、釈尊が説法を行った場所。本当の祇園精舎がインドにあるということが分かったのは何と19世紀の幕末の頃だったとか。★なぜ江戸時代の人々はアンコールワットをインドの祇園精舎と間違えてしまったのでしょうか? 当時、カンボジアの密林の大地に広がるアンコールワットは東南アジアにおける仏教信者のメッカ的な聖地となっていたようです。それほど確かな情報のない時代でもあり、日本人が朱印船貿易などで交流のあったカンボジアを訪れた際に、壮大な規模のアンコールワットの寺院群を見て「祇園精舎」と勘違いしたとしても無理のないことだったのかもしれませんね。
「鼕まつり」
2024.10.10

暦の上では「寒露」を迎え、朝晩には肌寒い風も吹くようになりました。いよいよ本格的な秋の到来ですね。★今年も残すところあと2ヶ月半余りとなり、各地で収穫祭や感謝祭などの秋祭りが行われる時期を迎えました。松江でも10月20日(日)には恒例の「松江祭鼕行列」が盛大に開催され、普段は静かな町が一際賑やかになります。「鼕」と呼ばれる大きな太鼓を打ち鳴らしながら松江城から白潟天満宮まで練り歩くこの祭りでは、地元の方々はもちろん観光で訪れた方々などで沿道は埋め尽くされ、際立って華やかな一日となります。今年の鼕行列は16台の鼕台が参加する予定となっており、それぞれの町内のもつ伝統的な鼕の響きや笛の音が聞けるのではないでしょうか。★10月5日の夜にはプレイベントとなる「鼕まつり」が開催され、私たちの町内も参加させていただきました。1年ぶりに鼕の共演を間近で堪能できる機会でもあり、多くの方がお出掛けでした。いくつもの町内の鼕の音が融合して生まれる松江鼕独特の風情には飽きることのない魅力がありますね。19日(土)には宵宮と呼ばれる前夜祭、20日には祭りの本番を迎えます。ご都合のつく方はお出掛けになってはいかがでしょうか。今週も夕方過ぎになると町のあちらこちらから笛や太鼓の練習の音が聞こえています。20日の当日に向けて一気にムードは盛り上がりそうですね。
「上達の四段階」
2024.09.30

お彼岸の中日を過ぎてからはすっかり秋めいた気候に変わりました。日中は汗ばむような陽気でも夕刻からはもう秋の気配ですね。★私たちの工房でも気候が良くなりましたので、順調に仕事を進めています。画像は金箔の剥がれたお位牌を補修しているところのものです。金箔を施した仏具や仏像の表面は特にデリケートで、取り扱いには注意が必要になります。万一、金箔が剥がれた場合は比較的短期間で修復が可能ですので専門店にご相談ください。★随分以前のことですが、私の修業時代には金箔の基本も知らない段階から教わったので、師匠には随分と面倒を掛けたのではないかと今更ながら反省しております。私が教わった金箔技術は習得までに4段階ありました。第1段階はとにかく繰り返し試すこと。上手く行くことなど殆どありませんがとことん練習を積み重ねます。第2段階は上手く行かないところを改善する段階となります。師匠の指導を受けながら、何故上手く行かないのか考え、あらゆる方法を試して基礎を確立します。第3段階は先人達の指導書などを確認しながら高いレベルの技術に挑戦します。最初から難しい指導書を見ても意味が分かりませんが、基本的な技術が習得できれば理解できるようになります。第4段階は見えないものを見る力を養います。江戸時代に造られた仏像などの修復には先人達の気持ちをくみ取る想像力も必要になります。★随分と時は流れましたが、仕事をする度に修業時代の場面を鮮明に思い出すのは不思議なものですね。