「南天竺」
2024.10.20
国民の90%が仏教徒といわれるカンボジアでは旧暦の10月にお盆を迎えます。同じ仏教国でもお盆の時期が異なるのは不思議ですね。★京都市の「乗顔寺」には熊本藩主・加藤清正に仕えた武将、森本義太夫の位牌が残されています。その次男は「森本右近太夫一房」。右近太夫一房は江戸時代の鎖国令が出される前の1632年(寛永9年)、遙か遠い日本から海を渡りカンボジアのアンコールワットを訪れ、父母の幸福を願い四体の仏像をここに奉納したとされています。★しかし、当時の日本人はカンボジアのアンコールワットを仏教の聖地である「祇園精舎」と間違えて解釈していたようです。「祇園精舎」とは中インドのコーサラ国の首都シュラーヴァスティーにあった寺院のことで、釈尊が説法を行った場所。本当の祇園精舎がインドにあるということが分かったのは何と19世紀の幕末の頃だったとか。★なぜ江戸時代の人々はアンコールワットをインドの祇園精舎と間違えてしまったのでしょうか? 当時、カンボジアの密林の大地に広がるアンコールワットは東南アジアにおける仏教信者のメッカ的な聖地となっていたようです。それほど確かな情報のない時代でもあり、日本人が朱印船貿易などで交流のあったカンボジアを訪れた際に、壮大な規模のアンコールワットの寺院群を見て「祇園精舎」と勘違いしたとしても無理のないことだったのかもしれませんね。