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スタッフブログ

「栄西(臨済宗)」

2020.11.15

立冬を迎えて、朝晩に吹く風は冷たく感じるようになりました。ただ、日中の気温は上昇して穏やかな秋晴れの日が多くなっているようですね。★臨済宗の宗祖栄西は1141年に岡山市にある吉備津神社の子として生まれ、13歳で比叡山に登り翌年得度。のちに栄西は形骸化しつつあった天台宗を再興すべく宋に渡ります。当時の南宋では禅(臨済)宗が繁栄しており、栄西は禅宗に天台宗を再興させる可能性を感じたと言われます。1187年に再び宋に渡り臨済宗の教えを会得して1191年に帰国。栄西の渡航はあくまでも「乱れていた天台宗の再興」が目的であり、新しく宗派を立ち上げようという意図はなかったと言われますが比叡山は異端として栄西を弾圧しました。苦境に立たされた栄西は天台宗などの旧仏教を否定するつもりが無かったことを弁明するため、1198年に「興禅護国論」という本を書きます。しかし、栄西の考えが比叡山に受け入れられることはありませんでした。のちに栄西は幕府の援助を受けて京都に天台、密教、禅の三宗兼学の道場として建仁寺を建立します。以後は武士たちの間で臨済宗ブームが起こり大きく発展することになります。★画像は京都にある臨済宗南禅寺の三門です。楼上からは京都の美しい町が一望できるようになっており、有名な歌舞伎狂言の「絶景かな 絶景かな」というセリフ通りの景色を眺めることができます。